マイナス面の「肯定」を自分にしていませんか
今回はタイトルからしてスピリチュアル全開なお話を
お届けしようと思います。
最近アファーメーションを取り入れてから、とても強く思うように
なった事が一つ。それはタイトル通り
「みんな人生を豊かに、幸せにもっとなっていい」
のではないかということ。
いや、もしかしたら僕自身が貧しい思いをし過ぎて
余計なお節介を、皆さんに対して思い過ぎなだけかもしれませんが。
こう思ったのにはまず、仕事面での僕自身の経験からきています。
「どうしてそんなに神経が擦り切らされても、
その仕事を続けていたのだろう。」 という事。
これは僕に限らずとも今現在、皆さんの中でもストレスを抱え
神経を擦り切らしながらも、仕事を続けている人が少なからず
いらっしゃると思います。
そして上記のような状態に陥っても
大概の人や世間は「仕事なんてそんなもんだよ」とか「ここで辞めて
しまうのは逃げだ」というようにマイナス面ばかりを肯定して、
自分に言い聞かし納得してしまう風潮があります。
そう、皆なぜか自分事になるとプラス面よりも
「マイナス面の方が肯定しやすくなっている」
という事を僕はここで伝えたいのです。
「現実」は自分が肯定した事象の中で「引き寄せる」
ではプラス面であれマイナス面であれ「肯定」をすると
どうなるのかという事ですが、つまりそのプラス面やマイナス面のそれぞれの
事象の中でそれに付随した物事や出来事を現実に「引き寄せる」という法則です。
そうです。以上の事を要約して先の事を言い換えるなら、僕が仕事面で
なぜストレスを抱え神経を擦り切らすまでに至ったのかというのは
周りの同僚や仕事量、職場の環境のせいではない事は言うまでもなく、
仕事に対するエネルギーのマイナスな側面ばかりを肯定していて、
その事象の環境の中に身を置いていた為に、自分の身の回りで起きる
現実がストレスを抱え、神経を擦り切らす事を引き寄せていたのです。
ちょっと上手く説明できなくてすみません。
(ここが大事なとこでしょっ!)
簡単に説明すると、要は「自分の所為」だという事なんですが、
この「自分の所為」という部分にちょっとした 脳内カラクリ があると
僕は思っています。その脳内カラクリというのは
人は
「辛いと感じる事や嫌だと感じている感情を
我慢している自分に美徳を感じている」
という傾向がある、というものです。特に日本人の国民性は。
職場の環境が辛い、対人関係で嫌だと本当の心の中では感じているのに
我慢をしたり耐えている自分が偉いと思っている事ってありませんか?
日本人には辛抱や忍耐という精神論的な部分をとても
美化している傾向があると思います。
それ自体はとても良い国民性です。僕も誇りに思っています。
ですが、本来のその本質とは間違った方向でその辛抱や忍耐の
エネルギーを使っている事が多いのでは?ということです。
その間違った方向というのが、先程から伝えている
当時の僕でいうと「辛い事を我慢している偉い自分」という
マイナス面の肯定による脳内カラクリに酔っていて、
より「辛い事を我慢している偉い自分」になる為に辛く、嫌な事を
自分で引き寄せていた という事です。
今思うとなんでそんな事を考えていたのでしょう。
顔から火が出るほど恥ずかしいお話しです。
(ここからじゃ伝わりませんね。)
「人生の豊かさ」や「幸せ」は辛い我慢の先に訪れるのか?
ここまでのお話を振り返れば、もう答えは出ていますね。
辛い我慢の先には、また同じく辛い我慢が待っています。
自分で引き寄せているという 現実を受け入れて
自分自身が変わらない限り、です。
よく「豊かさ」や「幸せ」などの『成功体験』の裏側には、
「辛い経験」「悲しい体験」などを乗り越えた過去があるから
という感動的な物語やドキュメンタリーがありがちです。
当の本人にしてみればそうなのかもしれません。
ですが、おそらくココが本来の人生を豊かに幸せにする本質とは
違った解釈を生んでいるのだと僕は思います。
おそらく、多くが「止まない雨はない」精神だと思います。
つまり
『いつまでも辛いことは続かないさ。我慢して耐えていれば
きっと誰かが幸せにしてくれるさ。』
という浅はかな他力本願、事なかれ主義なんです。
この「我慢して耐えた」事を評価してくれる人や神様がいるから
幸せになれるだろうと、思い込んでいるというのがミソなのです。
正しくは
『辛いことを我慢して耐える事ばかりしていないで
自分で引き寄せていると自覚することさ。』
ということです。
「止まない雨」をただ見届けていないで
「雨の降っていない街」へ自分から走り出していくのです。
我慢して耐えたことを人や神様に評価してもらうのではなく
自分で引き寄せているという事を人や神様から「気づかせて」もらい
自分を「変えていく」のです。
「辛い経験」「悲しい体験」は後の自分を変えていく
きっかけにすぎないのです。
僕のつたない例え話、伝わりますでしょうか・・・。
「人生の豊かさ」や「幸せ」は辛い我慢の先に訪れるのではなく
きっかけを掴み、自分を変えていく小さな努力の積み重ねの上に訪れるのです。
と僕は信じています
もっと「幸せになる事」を貪欲に受け取ろう
いつになくスピリチュアルな言葉と持論をツラツラと
書き散らかしましたが、そろそろまとめたいと思います・・・。
ここまでのお話でなんとなーく、冒頭に述べた
「みんな人生を豊かに、幸せにもっとなっていい」
のではないかと思った理由、少しは伝わりましたでしょうか。
僕たちは誰に仕組まれたわけでもなく、無意識下の中で意図的に
辛く嫌な現実や退屈な日常を、自分で引き寄せて体験しているのです。
だから早くそのことに気づいて、自分をコントロールして
人生を豊かに幸せにもっとなりましょう。
ってことです。
そして少しづつ自分をコントロールすること、引き寄せの法則を
使いこなせるようになってきたら、もっともっと
「幸せになる事」を貪欲に受け取ろう。
ということです。欲張りなことではないのです。
「幸せになる事」というのは「幸せになりたい」と貪欲に思っている
人のところに集まって来るのだと思っています。
あなたも例えば大勢でのBBQの時に、ごはんを誰かに届けようと
思っていたら、「もっと食べたい」と思っている人に届けて
あげたくなりますよね。
貪欲に思うことは悪いことではなく、嬉しいことなのです。
もっと貪欲になりましょう。
もっと豊かで幸せになりましょう。
僕も、もっともっと勉強して、そうなりたいと思います。
今回の伝えたい思い、届きましたでしょうか?
最後までお付き合いいただき
いつもありがとうございます。
アナタのライフスタイルが少しでも豊かで幸せになりますように。
またお会いしましょう